Diary
05年03月18日 万感の想いをこめて
先輩ごめんなさい、素で忘れてました。
2次会やるの? やらないの? と、自分が帰る帰らないの都合で
聞いといて、聞いたら聞いたで、『わかった、んじゃ帰る』としか。
そうねぇ、そうですよねぇ、別の用事断ってまで待っててくれたのに…
ごめんなさい…
母からのメッセージ。
『勉強の嫌いな崇が、よく6年間も大学で勉強しましたね。ご苦労様でした。』
…違う。
勉強が嫌いだったのは、目的がなかったから。
やりたいと思ったことはいつも否定され、夢なんかなかったから。
しかし、研究室に入ってからというもの、色々なモノに色が着いて見え始めた。
HPを持つようになってから、色々な出来事をポジティブに
受け止めるようにしはじめたのも、その要因の1つだろう。
でも、やっぱり俺にとっては師との出会いが何よりも大きかった。
勉強することが面白いと感じたのは、小学校低学年以来だ。
知識を蓄えれば、数本のスペクトルから色々な現象を読み取れる。
3年生まで、ろくに勉強をしなかった俺がそれを理解するのには
大変な時間を要した。
何せ先生の話を聞いても用語がわからない。
HOMO? ホモセクシャルのことですか?
LUMO? ルモなんて聞いたことありません。
π-π*遷移? おぱーい?
ナンじゃそりゃー!!!!
と、思いながら、付け焼刃を付け足していった。
気がついたら、付け焼刃の一部は血となり骨となり、
その知識を当然のように使うことができるようになった。
…今でも勉強が足りない、面白くて深い世界。
師の告別式、2年ぶりに会ったTはこう言った。
T「お前、キャラ変わったな。すごく変わったよ。」
2年ぶりに会った人間がそういうのだから、そうなんだと思う。
何もかも師の下で楽しく勉強できたこと、後輩達に囲まれて一緒に考えてきた
ことの積み重ねで出来たものだ。
俺が大学3年まで生きてきた21年間よりも、研究室で生活した3年間は
何よりも楽しくて、充実していた。
…だから、博士に行ってくださいとか言われて、悪い気はしない。
なぜならそうすればまた研究室で、可愛い後輩達に囲まれて勉強できるのだから。
でもそれは… やっぱり、今は逃げでしかないと思う。
居心地のいい場所から離れたくないだけの甘えだと思う。
それにねぇ、今からじゃあノブと一緒にはいられないものねぇ。
お世話になった大学を修了するにあたって、どうしても言っておきたいことがある。
それは、学校側の対応についてだ。
学校は、先生が入院なさってからも、ずっと書類を先生に送り続けた。
そりゃぁ、あの頃はまだ… いや、そうじゃない。
先生が正式に休職なさってからも、学校の事務から先生へ書類が届いた。
俺やノブが処理したり、S先生、SZ先生やM先生が処理してくださったりした。
オカシイと思いませんか。
なんで入院から何ヶ月経ってもバカみたいに先生に対して書類を送るのか。
この学校の事務は本当に無能だ、って思った。
学生達の評判も悪いし、実際にそうだと、前からも思ってきた。
先生がいらっしゃらない分、周囲の先生方がよく面倒を見てくださった。
そしてみんな『先生がいないからしょうがないよな』って言われないように頑張った。
学校からは何のサポートもなかった。
S先生や諸先生方の厚意によってなんとかサポートされているもので、
学校からは、本当に何のサポートもなかった。
でも、そこは正直どうでも良かった。
先生にせめて少しでも恩を返すために、俺が頑張れば良かっただけのことだから。
問題は、その後だ。
先生が、亡くなられた後だ。
学園研究費ならびに大学院研究費が50万残っていると判明したとき、
みんなで相談して大きな買い物をしたりした。
まず、俺がマシンのパワー不足に泣いたとか、そういう経緯から
ハイスペックのマシンを買うことにした。
マウスコンピューターで18万くらいのマシンを購入。
メモリはDDR2の2G、CPUはPentiumWの3.4GHzだかなんだか。
どちらで買うかと言われたので学園研究費で買った。
双方25万のあわせて50万なので、これで学園研究費が残り7万。
そして大学院研究費が丸々25万。
そのツモリで、来年度…
研究室を移籍したあとの試薬や、これまでの試薬の支払いにあてようとしてた。
ところが、こんなときだけは学校の対処も早くて
先生の研究費を消滅させやがりました。
いつもは無能なのに、こういう仕事はきっちりこなしてくれました。
だったら、パソコンを大学院研究費で買ったことにして…
と思った、本当に。
本当に困った、まさか研究費がガツンと減るとは。
大学院研究費って言うのは、先生・俺・ノブの3人に与えられた研究費で
先生には7万ほど、俺とノブにはそれぞれ9万弱ほど残っていた。
S先生と、移籍先のF先生が俺とノブの研究費をひきとって、
俺らのために使ってくれなかったら、本当にまるのまま25万円消滅するところだった。
支払いとか済んでないうちにさー、そういうこと、
そういう仕事をさっさと済ませないでくれよ。
S先生がさー…、
『忙しくしてるときは忘れてるけど、ふと、ぼーっとしたときに思い出すよなぁ』
って仰ったときも泣けてきたけどさ。
『あった』ものを『なかった』ことにして、さっさと先生のことを処理されていくと
それも悲しいじゃないか。
まぁ、先生に深く関わった人間が、先生のことをいつまでも忘れない。
それで、いいんだけどさ。
もう、先生の研究室は消滅してしまうけど、
先生の研究室の伝統は、これからも不滅です。ピカリンがいる限り。